I'm in heaven

ヅカヲタな二十代会社員の日々

もうすぐに憎みだす人生を/エリザベート-愛と死の輪舞- 1

1とかつけちゃったりしてますけど、2が出てくるかは不明です笑

 

私の初エリザは東宝のお花さまシシィ+城田トートでした。誰にとっても初エリザは大きいものだと思います。伝説と言われているお花さまシシィを見られたこと、本当にラッキーでした。お花さまシシィについてもいつか語れたらと思います。

 

 

しかし今回初ヅカエリザが宙組で本当に良かったと思っています。

はじめてエリザベートをミュージカルではなく、お芝居として見ることができました。

総じて演者のレベルが高かったこと、あの歌はちゃんと歌えるのかなという不安がないというだけでここまで物語に埋没できるものかと、観劇後にただただ喜びが湧き上がってきました。

 

海外ミュージカルを上演する際に、楽曲やセリフが有名であるが故に今回は前回と比べてどうなのか、初演と呼ばれるものと比較されがちです。

 

何でも二番煎じ、三番煎じ(もちろん再演は煎じ、ではありませんが)は比べられる運命を背負っています。演出が大々的に変われば別かもしれませんが、ヅカエリザは初演から一貫して小池先生が演出をされているので、細かい変更点はあるかもしれませんが、あくまでマイナーチェンジでしかありません。

 

しかし今回は「演出」として小柳先生が入られました。

そのことによってタイトルでありながらトートに食われ気味だったシシィに少しだけ主導権が移ったような気がするのです。

 

とくにそれを感じたのが

「私が踊る時」のナンバー。

 

トートはシシィに何度も人生の虚しさを語り、彼女もそれに絆されかかることが多々ありました。

しかし、シシィはこのシーンで明らかに主導権を握っています。

みりおんから溢れ出る気品、圧倒的な歌唱力がそうさせているのだと思うのですが

トートに対して対等に、あくまで冷静に対応しているのです。

 

誰にも愛されない人生は虚しい、人生は憎むべきものだと語るトートに、

ひとりでも愛し始めたの人生を、

とシシィは答えました。

 

シシィを現世につなぎとめるものはいくつかあります。

夫であるフランツ、最愛の息子ルドルフ、勝たなければならない姑ゾフィー、そして、自由。

彼女は自由を求めて生きているのです。

 

フランツと愛し合う自由、ルドルフと親子として接し合う自由、王妃である前にひとりの人間として生きる自由。

 

その自由は果たして生のうちあるのでしょうか。

 

トートに言わせれば否、自分を愛すること、死こそ自由、なのでしょう。現にトートは何にも束縛されてはいないのですから。

 

しかしシシィは現世に自由を見出そうともがき続けるのです。

夫に裏切られようと、息子が自ら命を絶とうと、狂ってしまった方が楽になれると知っていても。

 

彼女はずっと、自分の魂が自由になる場所を求めているのです。

 

最終的にシシィは自由を勝ち取ることより解放を選んだのではないかと思います。

魂の自由ではなく、魂の解放を。

 

私が好きな小説に人生とは何か、という問いが出てくるものがあります。

 

人生とは、もがき続けること、求め続けること、そんなことをしているうちに終わるのがいちばん良い人生なのではないか。

まさにシシィの人生は、もがき続け、求め続ける人生でした。

 

終わってみればそれがいちばん良い人生なのではないか、とも思います。

 

さて、もう少しだけぼんやりした話をします笑

 

今回、タイトルの副題「愛と死の輪舞」

について思うことがありました。

 

死=トートであることは間違いないのですが

愛はトートとシシィの間の愛かと思うとちょっと違和感があって

愛=シシィなのではないかと思います。

彼女は愛の象徴なのではないか。

 

フランツ、ルドルフ、トート、

彼らは皆、シシィの愛を求めています。

 

皇帝の孤独を安らげてくれる唯一の存在である王妃エリザベート

自分の気持ちを唯一理解してくれる母エリザベート

死という存在である自分が唯一愛した人間エリザベート

 

エリザベートの愛は最終的に誰のものにもなっていないような気がしています。

 

愛と死はやはり交わることはない。ただし、愛と死は二人きりで踊るのです。お互いがお互いを相手として選び、踊るのです。

 

最後のデュエットダンス。くっついているようで離れている、ベタベタしすぎないダンスがそんな気にさせてくれました。そして抜群にカッコいい。

 

私の中でエリザベートが新たな音を奏で始めた瞬間でした。